東ソー 山本寿宣特別顧問が2月9日に死去、68歳

, ,

2024年2月20日

 東ソーは19日、山本寿宣特別顧問(前社長)が2月9日に急性心筋梗塞の疑いで死去したと発表した。68歳だった。葬儀は遺族の意向により近親者のみにて既に執り行われた。お別れの会・社葬などの開催は予定していない。

 山本特別顧問は、1979年に神戸大学を卒業し東洋曹達工業(現東ソー)に入社。2009年6月に取締役塩ビ事業統括副担当兼化学品事業部長、2011年に常務取締役クロル・アルカリセクター長兼石油化学セクター長兼化学品事業部長、代表取締役常務などを歴任し、2016年3月に社長に就任した。その後、2022年3月に相談役となり、2023年6月から特別顧問に就任していた。

 

信越化学工業 金川千尋代表取締役会長が死去、96歳

, ,

2023年1月6日

 信越化学工業は5日、金川千尋代表取締役会長が1月1日に肺炎のため死去したと発表した。96歳だった。葬儀は近親者のみにて既に執り行われた。後日、偲ぶ会の開催を予定している。

 金川会長は、1947年に旧制第六高等学校を卒業、1950年に東京大学法学部を卒業し極東物産(現・三井物産)に入社。1962年に信越化学に入社し、海外事業本部(現・国際事業本部)にて欧州、中米、南米での海外事業を次々と開拓した後、1973年には自らの企画立案によりシンテック社(米国テキサス州)を米国企業との合弁で設立。3年後に信越化学の100%子会社とし、1978年に取締役社長に就任した。「塩ビは社会と環境に貢献する優れた樹脂で、需要は伸び続ける」という信念のもと、塩ビの生産工場の大型の新増設を繰り返し実施し、フル生産フル販売を継続することで、シンテックを世界一の塩ビメーカーに育て上げた。

 信越化学では海外事業本部長、専務取締役、塩ビ事業本部長、代表取締役副社長などを歴任し、1990年に代表取締役社長に就任した。日本のバブル経済が崩壊した厳しい経営環境の中、シンテック社の経営で実践してきた合理的な経営を信越化学に導入し、不況に強い企業体質を築いた。同時に、フォトレジストなどの 新規事業の育成にも取り組んだ。ITバブルの崩壊をはじめとした厳しい外部環境を乗り越え、1994年3月期から15期連続の増益を達成し、信越化学の収益を大幅に拡大させた。

 2010年に代表取締役会長に就任した後も、信越化学グループの成長に貢献してきた。また並行して、1998年に「塩ビ工業・環境協会」の初代会長として塩ビに対する正しい理解の普及と産業の発展に努め、2001年からは「FEC(民間外交推進協会)」の会長として世界の平和に向けた民間での各国との交流と相互理解を深める努力を積み重ねてきた。

 斉藤恭彦社長は「金川会長は、社長を務めておられた期間に、信越化学を世界的な化学会社に 成長・発展させました。その間、その経営手法『金川経営』を社内に浸透させることにも心を砕かれました。私自身、幸運にも、長きに亘り会長のもとで様々な仕事をさせてもらいました。その中で得た経験と考え方は、私の仕事の背骨になっています。会長の経営なくして、今日の信越化学はあり得ません。会長の築かれた礎の上に当社をさらに発展させていく所存です。金川会長の多大な貢献と功績に心から感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします」と述べている。